ガルパン戦車研究室、第三回目ですがまあそもそも戦車に関してよく分からないのですが何が分からないのか?それは戦車がどんなところで用いられてきたのかということです。たまにニュースなどで自衛隊の富士山のふもとでの演習などで戦車が爆音を鳴らして行っているとかそんな程度でしか戦車に関しては知りえることが出来ないのです。つまり戦車は実生活とは何ら関係ないから分からない、まあ実際に見ようにも見る機会はなかなかないです。ガルパンの世界ではそんな戦車が女子高の校庭に置いてあるというとても不可思議な世界観なのです。戦車は現実の世界でどのように用いられてきたのか?分かりようがないのですが実際に大戦にて用いられてきたわけなのでその使用度合などに関して知りたく思います。このたびの更新では最初に戦車が用いられた戦いについて自分なりに調べて記事にしていきます。
火力を持つ動く鉄の塊…まあ実生活では無縁な存在の戦車です。このような富士のふもととかでしか真価を示せないのはつらいところですね。
戦車が初めて用いられた戦いはソムンの戦いと呼ばれる戦いです。用いられたのはマークⅠと呼ばれる戦車ですがこのマークⅠはソムンの戦いの中盤より用いられた戦車のようです。戦車ってなんで必要なんでしょうか?別に必要ないんじゃないのとか思うのは大戦とか全く知らないからなのですが当時の大戦にて塹壕なるものをいかに攻略するかが課題だったようです。この塹壕とはいったいなんなのでしょうか?塹壕を戦車なら攻略できるようですがそれはいったいどういうことなのでしょうか?塹壕とは戦争にて兵士が砲撃や銃撃から身を守るために使う穴や溝のことです。古代にて飛び道具を使わない戦いでは塹壕は必要なかったのですが徐々に戦争で飛び道具を用いるようになってからその重要性が増したのです。塹壕攻略もありますが進攻時に機関銃やらに狙われる歩兵はやられ放題なので防御しつつの進攻が求められたようです。この攻一体の体制を維持できる道具こそ戦車だったというわけです。
マークⅠって…あれ???これって戦車なんでしょうか?大洗の皆さんがこれに乗っていたら少し悲しい…でもこれで塹壕という穴ぼこに迫ったりしたら下の人はひとたまりもないかもしれませんね。
まあソムンの戦いってなんなのと思いますが第一次世界大戦の西部戦線での戦いでしてソムン川付近での攻防のことをいうようです。この戦いの終盤より戦車は用いられたみたいです。この戦いにてかなりの死傷者を出したみたいですがかなりの激戦において戦車の活躍はどうだったのか?それは相手をびびらすのに成功したものの稼働が出来ない車輌やらが多く、49両用意されていた戦車のうち稼働できたのは18両と半分を下回る感じでした。そして、実戦に参加できたのは5両だけというもの、戦車のデュー戦はあまり振るわない感じだったみたいです。
実際にガルパンでも動かなければ的になる、装甲を持つ戦車も流石に動けなければ破壊されてしまうことでしょう。やはり戦いの中でその実用性が求められることとなったこともあり戦車は運用面でもかなりその度合を高める必要がありました。ソムンの戦いは1916年7月から11月の出来事でかれこれ世の中に戦車が登場して100年は経過したようです。100年前に世の中に出た戦車は戦いの歴史にその雄姿を刻んでいくことになりました。