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Channel: ホビタン ~趣味の探訪~
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ミニスーファミ発売記念 其の一 スーパーファミコンの歴史、任天堂のその後の明暗を分けた1994年末の大事件。

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最近はすっかりミニスーファミばかりでしてすっかりスーパーファミコンのソフトばかりやってます。そんなこともありましてここいらでスーパーファミコンについて振り返ってみたく思いました。スーファミの開発の始まりは1986年ごろのようです。そのころはまだ噂話だけ、信ぴょう性は無かったのですが任天堂より正式アナウンスがあったのは1988年11月21日のことでした。当時ですがファミコンでⅣまでリリースされたドラクエですがリリースが次世代機になるとのことで話題をさらったようです。こうしてスーファミが世の中に送り出されたのが1990年の11月20日のこと、発表から二年で発売にこぎつけました。

 

 

最近になり帰ってきたスーファミ、小さくなりましたがそんなスーファミの歴史は今から27年近く前からはじまったのです。

 

スーファミの歴史はこの1990年から2000年の10年に及ぶものです。2000年に一応当時として最後のスーファミソフトがリリースされて音沙汰が無くなった、その後の修理などのサービスは続いたもののこの記事内では便宜上、2000年とします。歴史は創世記から隆盛期、そして衰退期という形になります。以降は異論があるかもしれませんが大胆におよそ創世記が1990年~1992年、隆盛期が1993年~1995年、衰退期が1996年~2000年という感じにしてみました。

 

その創世記ですが1990年11月20日に発売されると品薄状態が続いたようです。スーファミのローンチタイトルであるスーパーマリオワールドとF-ZEROが相成って爆発的ヒットとなりファミコンの進化版の襲来という感じでした。1988年2月10日に発売されたドラクエ3によりファミコンは社会現象化してその勢いでこの進化系ハードにてドラクエの次作が出ることもあり話題を欠かなかったことでしょう。

 

そして1991年にFF4、1992年にスト2、スーパーマリオカート、ドラクエ5、ゼルダがリリースされ良作に恵まれすぎたハードは創世記を抜け隆盛を遂げようとしていました。1993年にスーパーFXチップを搭載したスターフォックス、またまた話題を欠かない、抜かりなき任天堂の体制ですが隆盛期になると問題が生じました。1994年に発売されたFF6が定価一万円超えを皮切りに続々と一万超えソフトがリリースされます。ソフトの価格高騰は恐らくソフトの開発費回収なのか、それとも1991年に終焉したバブル時代の再燃なのかソフトの価格はうなぎのぼりでした。

 

この1994年という時代は次世代機が続々と市場に登場します。12月3日にプレイステーションが発売されましたが実はこのプレイステーションはスーファミの周辺機器として新たにスーファミで使用できるCD-ROM機器を市場に送り込むため開発されてましたが開発は頓挫、ソニーは早々に任天堂に見切りをつけ新たにゲーム市場に参戦したのです。どうやら任天堂はロムカセットにこだわりCD-ROMを嘲笑していた模様です。真実は分かりませんがスーファミの歴史における大事件でしてこのことが後の任天堂の運営を苦しめることになったようです。

 

CD-ROMで勝負をせずあくまでロムカセットにこだわる任天堂、スーファミの歴史はここからプレステやセガサターンという次世代機との争いの時代になります。プレステやサターンは市場において値下げ競争をしているのにも関わらず価格が高騰していたスーファミのソフトのてこ入れとして本体を安く購入できるクーポン券をソフトに同封するなどしてやりくりをしていたスーファミですが1995年は周囲に振り回される展開をしたのみで肝心の話題性は他の次世代機にそのお株を奪われてしまったようです。

 

1995年がスーファミ隆盛のお終いであとは衰退していったようです。1996年にニンテンドウ64を見据えてかソフトをダンピングし始めました。この年に発売されたスーパードンキーコング3が180万本出荷、このソフトを最後にたいして売れるソフトが無くなります。任天堂はその主戦場を1996年に発売したニンテンドウ64に移しつつありすでにスーファミは過去の遺物になってしまったのでした。1990年11月から1996年6月、これがスーファミの創生と隆盛時代でして64が登場したことにより衰退がはじまるのです。

 

市場では相次ぐ値下げ競争が繰り広げられたため旧来のハードとなったスーファミのてこ入れを目論んでか任天堂は1997年、ニンテンドウパワーなるサービスを開始、かつてディスクシステムで培ったソフトの書き換え可能な市場を形成して苦しい戦いをしていきます。安価で任天堂のソフトが楽しめるとのこともありニンテンドウパワーは全国に広まりました。まだやれる、若い者に負けられないとでも言わんばかりのスーファミでした。

 

そして1998年にスーファミジュニアがリリース、ついにスーファミに廉価機がリリースされて終わりが見え始めました。足掛け7~8年のスーファミ、すでに老齢したハード、ついにどの機械物にもやってくる終焉の時、この年4月にロックマン&フォルテが発売されたのを最後にパッケージでの店頭販売ソフトは終焉を迎えます。翌年の1999年にサテラビューなどで名が通っていた衛星事業から任天堂は撤退、こうして2000年の6月まではサテラビューを続けたものの終わり、ニンテンドウパワーからメタルスレイダーグローリィディレクターズカット版の書き換えソフトが出たのを最後にソフトのリリースが終わりました。こうしてスーファミは終焉となったのです。

 

スーファミが衰退期の時代に登場した64でしたが頼みの綱の64は苦戦を強いられていました。次世代機は完全にCD-ROM全盛でしてロムカセットにこだわりすぎた任天堂は憂き目にあいます。1994年にリリースされたプレイステーションでしたがスーファミの周辺機器で使用される予定だった、それが完全に独立路線を取り一大市場に成長していくのです。任天堂はその王座より転落、完全に後手にまわってしまったのでした。

 

時代に乗り遅れた任天堂は64の後にゲームキューブを送り出しましたがこれまた苦戦、満を持してのCD-ROM搭載機器でしたが鳴かず飛ばずの状態でした。日本市場でスーファミは1700万台でしたが64は554万台、キューブは404万台と振るいませんでした。1994年にロムカセットにこだわらなければ任天堂の暗黒時代は訪れなかったのですがスーファミは後の任天堂の明暗を決めてしまうことになるという何とも言えないことになってしまったようです。

 

このようにスーファミおよび任天堂の歴史は一強時代から競争時代を迎え、一強時代に配下に加えようとしていた強力な援軍をあざ笑い、やがてその援軍に敗れる、敗れた後も敗れっぱなしという悲惨な状態となってしまったようです。1994年に起きた大事件はゲーム業界には激震だと思えます。そう、その企業が判断を誤ってしまうとその誤りは負の連鎖を生んで会社を死に至らしめてしまう…恐ろしいです。その後ですが任天堂はWiiやswitchをだして奇跡の復活を遂げました。

 

スーファミの歴史は端的に言えば「獅子身中の虫」と言えます。獅子の体内で養われている虫、この虫が獅子を滅すという怖い言葉です。百戦錬磨の獅子ですが養っていた虫に滅ぼされる、たとえ小さな虫でも侮れないという教訓ともいえる歴史でした。2017年10月に帰ってきたスーファミのソフトたち、かつての獅子たちと懐かしい時間でして伝説として語れ継がれることでしょうね。

 

ということでスーファミの歴史を振り返りました。本当に大変な歴史です。ミニスーファミの発売記念に第二弾として思い出のスーファミソフトという形で記事を更新する予定です。(参照・ウィキペディア他)

 

 

 

 

 


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